ponohanaのブログ

『ただいま♪ わたし』ここにホッとくつろいで♡ ここからはじめよう🌱

「幼少期のストーリー」と今感じること

こんにちは

 

お日様の光がまぶしく

ぽかぽか暖かい♪

ほっとする、こんな瞬間が大好きです。

 

冬めいてきて、日々風が冷たくなっていると感じます。

 

ホットカフェラテを飲みながら

今日は懐かしく

幼少期のわたしのストーリーを思い出してみようと思います。

 

 

 

1番に浮かんだこと

お父さんのことが大好きで

「おとうさんのおよめさんになる🌸」と宣言していたことです。

やさしいお父さんが大好きでした。

肩車されて見ていた景色が思い浮かびます。

 

 

母に対しては、申し訳ない気持ちを持っていました。

わたしは自然の中にいることが好きで

鳥を追いかけたり、虫たちを観察したり、土手を散歩したり

お花畑の真ん中に座って、ふわふわと風に揺れる花を見たり

葉がさわさわと音を立てることに耳を傾けたり

太陽や風、草木の香りを感じ

自然のなかで包まれているような、一緒になっているような

そんな感覚が好きで自然が友達でした。

 

それは、母にとって心配の種だったようです。

ほかの子のように友達とワイワイ元気に遊ぶことを好まないわたしを

心配していました。それを感じ取っていたわたしは

母の望みにこたえようと、公園でみんなの中に交わろうと頑張るのですが

怖くて母の横にちょこんとくっついて離れることができませんでした。

少しだけ、周りの子たちの楽しそうな姿がうらやましくもあり

寂しさも感じていて、弟か妹が欲しいとお母さんにお願いをしていました。

母におなかの中に赤ちゃんがいると聞いたときから嬉しくてたまらなかった。

赤ちゃんに会える時を楽しみにしていました。

でも、妊娠中の母はつわりで寝込むことが多かったので、辛そうな母を見て

わたしが兄弟が欲しいといったからお母さんを苦しめてしまった。。

と感じていました。

幼稚園へ行くことを拒み、母のそばを離れず

母を手伝って楽にしてあげたくてお皿洗いをしていたことを覚えています。

後に母に聞いたことですが、

小さな私のお皿洗いは泡が残っていることがあり

私が見ていないすきにこっそり洗い直しをしていたそうです。

 

まもなく弟が生まれそうな時、赤ちゃんの服を買いに行く。と

張り切って、母の買い物についていきました。

退屈したわたしは、その場でぐるぐる回ることが面白くて

無中になって回っていました。

目が回り、周りの世界もよくわからなくなり

そのまま外に出てしまったようで、はっと気づいたときには

「ここはどこ?お母さんはどこ?」

お店から離れて知らない場所にいました。

大泣きしながらお母さんを探して

地下道を通ったり、めち上がったり、めちゃくちゃに歩いていました。

周りの大人に助けを求めることは思いつかないけど

大声をで泣くことと視線で訴えていました。

たくさんの大人と目が合ったのに

誰も助けてくれない。。

ちょっと冷静な感覚もあって

「なんで、なんで?」と大人たちに怒っていました。

彷徨い、地下道から地上へ上がった時

目の前にあった公衆電話で泣きながら電話をしている母がいました。

抱きしめられたとき、怖さがあふれ出しました。

 

弟が生まれると

かわいくてかわいくて、ずっと一緒にいたくてくっついていましたが

みんなの注目が弟に注がれていると感じて

自分が大切にされていないように感じることがあり

拗ねていたことを思い出します。

 

 

わたしにとって、幼稚園に行くことは地獄でした。

友達や先生と楽しく過ごした記憶がありません。

お迎えの来るスクールバスに乗るときは

いつも大泣き。

母にしがみついて離れない

先生が母と私を引き離します。

パンツ丸見え、おなか丸見えになるほどの大抵抗の末

先生に抱きかかえられてバスに乗せられて出発

これがいつもの幼稚園生活の始まりでした

幼稚園に行くバスの中から見える景色はモノクロ 

パンツ丸出しで大泣きしていたことが恥ずかしくなって

周りの視線も気になる。。

幼稚園に行ってもたのしくない。。

チーーーン😿という感じ

わたしにとって孤独な時間の始まり。。でした。

でも、幼稚園の中で

大好きだったことがありました。

自由時間にブランコやトランポリンで遊ぶことです。

ふわっと浮かんで空に近づく感じ、ふわっと世界が広がる感じが好きでした。

目線が上がって、いつもと違う景色が見れるのも好きでした。

自由な時間が終わってクラスへ入ると

おトイレに行きたくてもひとりで行けない。

先生に言うのも恥ずかしい。。

お漏らしをすることもありました。

 

 

牧場に遠足に行った時のこと

馬に乗って広場を一周するため順番待ちの列に並んで

次はわたし♪と楽しみにしていた時

前の番の誰かのお母さんが

馬に蹴られて飛んでいくところを目の前で見ました。

倒れたまま動かない。。

周りが凍り付き、救急車が来て大勢の大人がワタワタしている。

それを見ていたわたしは硬直して、目の前の出来事がただ視界に入っているような

ただ流れているそれらを見ていました。

楽しさが一変した出来事でした。

 

四人乗りの対面型の鉄のブランコに男の子と対面して乗っていた時

その子が「動くブランコから飛び降りれるよ。」

そんな風なことを言って飛び降りました。

ブランコ横に着地すると思っていたはずの男の子が目の前から消え

ブランコの下に巻き込まれてブランコが止まりました。

女の先生の悲鳴が聞こえ、男の先生が血を流してぐったりしているその子を

ブランコの下から救出しました。

救急車がサイレンを響かせて幼稚園から出ていきました。

あっという間の出来事でした。

その時も、牧場での出来事の時と同じように硬直していました。

先生の悲鳴以降は無音で、その後のことは記憶には残っていません。

 

 

幼少期の私は、時々他のみんなには見えないものを見たり

気配を感じることがありました。

怖くて、周りの大人に訴えるのですが

「何もいない、気のせいだ」

「何がみえるの?何もいないよ」と言うだけでした。

確かに見えているのに。。

何がほんとうで、何がほんとうじゃないのかわからない。

わけがわからないけど

みんなとは何か違うものを見たり感じたりしているみたい

何かが違うらしい。という感覚を持っていました。

それをどうしていいかわからないし、なんだかわからない

わかってもらえない。

大人たちの対応を、わたしのことをおかしな子だと思っているんだ。

と感じるようになり、どうにもわからないことに、どうしようもなく

わたしはおかしな子なんだ。と思うようになり、そのことについて誰にも話さなくなりました。

 

 

 

 

こうして、記憶を書いてみて

子供のわたしの世界の狭さや誤解

コミュニケーションを知らなくて

自分自身の状態の認識もできない中

ほんとうに一生懸命に生きていたんだと感じます。

 

 

怖かったり、泣きたかったり、逃げたかったり、怒りたかったり、自分を責めたり

駄々をこねたかったり、寄り添ってほしかったり、助けてほしかったり、不安だったり

話を聞いてほしかったり、好きだけど嫌いって思ったり葛藤もあったりと

いろんなことを感じていたし

感じることができないくらい衝撃をを受けていたり

いろいろ。。

 

 

小さくてかわいくい、繊細でやさしくて

けなげで、頑張り屋で、純粋で、素直で、無邪気で創造力いっぱいな

わたしの一部をいとおしく感じて

ほわっとあたたかくハートが広がって包み込む

穏やかさと強さを持ってここにいられる平和を感じます。

 

 

大人になって気づいた

生きてくる中で安全だと思ってしていたことが

幻想だった、自分を苦しめるものになっていたということ。

そして、手放してきた思い込みたち

「思い切り楽しむことはできない」とか

「楽しみは長くは続かない」とか

「楽しみの先には大変なことが起こる」とか

「自由に好きなことなんてできない」

「自分はおかしい」などなど、たくさん。。

そんな思い込みたちは

小さいながら一生懸命に生きていた体験や経験から

自分なりの身を守るために必要だったものだけど

日々、同じように対応をすることが安全だって信じて

繰り返し体験することで幻想の世界を強化していく

幻想だっていうことに気づけなくなっていく。

それがほんとうのこと。みたいに

自分の当たり前の常識、自分自身になっていく。

 

その当たり前は

自分にとって安全に感じるけど

自分を苦しめる種になっている。

 

現実をゆがめて捉えていたり

周りの優しさや愛も気づけなくなっていたり

受け取れなくなってしまったりもする

 

だけど、ほんとうはそれは違うと

どこかで自分自身が感じているから

知っているから

苦しさを感じる。悩みになる。

 

今、自分自身に気づいていくこと

自分を知ることが幸せへの鍵。

そこから新しい世界を体験していける。

 

それは自分自身にしかできないことで

自分を知ることは

自分に優しく寄り添う。

自分に素直になっていくことだと感じます。

 

過去のストーリーや

記憶は、問題を解決するために思い出そうとしなくても

掘り起こそうとしなくてもいい。

ただ、わたしらしいストーリーの一部。

「ここだよ」ってホントの私に気づかせてくれるもの。

「ただいま。わたしでよかった。ありがとう。」って私を思い出させてくれるもの。

あたたかさや愛を感じるもの。

全部私の一部だから、今ここに気づいいていたらいい。

時間はかかっても、難しいと感じても大丈夫。

だって、わたしはわたしだから。そう思える。

それって、自分にとっていちばんやさしいよね。って思います。

 

目に見えない存在たちに興味を持ったのはここから始まっていたのか。

と過去のストーリーを思い出して気づきました。

学んできたこととか、今やっていることにも繋がっています。

知りたかったんですよね。ずっと。

それから、自然が好きなことも変わらず好き。

イメージの中、たのしくなったところで

幼少期のストーリーを終わりにします。