ponohanaのブログ

『ただいま♪ わたし』ここにホッとくつろいで♡ ここからはじめよう🌱

ちょっと?ニッチな話

こんにちは♪

 

ニッチって言葉はいつからあるのか。。

つい最近「ニッチ」という言葉を知り

使ってみたかったのでした。

 

本日初「ニッチ」

大人になって言葉をつかうことにワクワクするって♪

うれしくて

顔がにやけています(*´▽`*)

 

 

ちょっと自分の棚卸をしていて

これまでの自分自身の軌跡というものを

記してきたxmindをみていたのですが

「おい、マニアックすぎるでしょ。。」と

突っ込みどころ満載で。。

ニッチ。って言葉より

使い慣れた「マニアック」のほうがしっくりくる(ノ´∀`*) 

 

 

今、生かしてくれている自分の肉体の事だって

よく知らないのに

 

目に見えない世界

いわゆるスピリチュアルな世界について

様々なレベルで理解すべく自己探求、成長を目指していたさまを

改めて実感したのでした。

何者になろうとしていたのだろう。。

 

 

生きづらかった日々、そこから脱したくて始めた様々な学び

自分を知る必要性を感じて学び始めた心や脳の働きや

スピリチュアルな存在でもあるということや

宇宙の仕組み

ヒーリングや浄化など繊細なエネルギー体に働きかけるものや

関係性のなかでお互いに起こっているエネルギーレベルでのやりとり

感情、思考など、他さまざまなレベルについてなど、、

知る由もないことを。。

今世、人として存在するうちに全部知ることなんて無理でしょ?

ということたち。

それを理解できるようになるとでも思っていたようです。

そしてコントロールできると。。

 

 

学んだきっかけは

悩み、苦しいばかりの人生ではなく

幸せで平穏な日々を送りたい。という願いからだったのに。

いつしか目的がずれて

探究者、いや追求者になっていたという感じ。

覚醒者にでもなろうとしていたであろう

いろんななことが記されていて

 

 

そんな過去の自分に

突っ込まずにはいられないのでした。

もう、神経症じゃん。

そりゃ、修行だ。苦しいって感じるよね

今の楽しみがない気がする。。

とか言ってたことに納得するよ。

よくがんばったわ

と当時を振り返っていました。

 

 

 

修行のように過ごした時期を得て

「今ここしかないんだ。いつだってわたしはわたしだし。

それ以外だったことなんてなかったし、これからもそうなんだ。」

「なんだこれだったのか。。」

「ただいま。」って

降参するように

いつだって一緒だった「ここのわたし」に帰ってきたからこそ

笑いながら突っ込める喜びと安堵を感じました。

長い期間をかけて、ぐるりと一周回ってかえってきた。

そんな感じ。



 

ちょっと、じゃなくてかなり「ニッチなのでは?」

修行時期を振り返ると、なんか特別なことをしている感があって

成長している感満載で

やばかったなと思います。

 

 

ここにくつろぐ、それだけでよかったのに

そのシンプルさゆえに見落としてしまっていた

そんな感じです。

「今ここ」「ほんとうのわたし」って今ここのすべて

ただそれだけ。

灯台下暗しすぎて今ここの「これ」に気づけなかった。

勝手に事を難しくしていただけ

違う場所へ何かを探しに行ってた。

 

 

当たり前のことではなく、何かがあるという勘違い

まあ、それもまた楽しみ方でもあるんだな。

と思いつつ、

もう、あの修行チックな感じは

やれといわれてもできないし、あの楽しみ方はもういい。

やりたくないな。と思うのでした。

とことん、気のすむまで真剣に取り組んできたからこそ

今があるのだとも思いますが。

手放すことが怖くて苦しみの中修行を続けていた期間もあり

それはもう、気が狂いそうになっていました(;'∀')

 

 

自己探求や成長にかぎらず

何か目標に向かって行動していくとき

初めに思い描いたことから

ズレていってしまうってあると思います。

周りに権威者を置いていたり

コミュニティに属していたり

それが当たり前化してくると

やめることに怖さが出たりすると思います。

 

もし、今何か取り組んでいるものがあって

重さや苦しさを感じていたら

 

立ち止まって、深呼吸をして

ほっとここにくつろぐ

自分に素直な声に耳を傾けてみる。

 

どんな声が聞こえてくるか

どんな感情なのか

体の感覚は重いのか、軽いのか

 

もし、これまでと違う選択やアイデアがでてきて

そこに抵抗があったら

新しい世界へ一歩踏み出す時かもしれない。

自分の中心の感覚を信じて、頑張って勇気を出して

慣れ親しんだものを手放す時かもしれない。

 

いつだって自分の感情と感覚が指針。

 

誰が何を言っても

世界の常識がなんであっても

「わたし」の感情、感覚を指針にすることが

スムーズ

挑戦していくことに楽しさを感じる

何をしていても生きている喜びを感じる。

 

 

これ

手放せない葛藤でくるしんでいた過去のわたしに伝えることができたら

わたしはどうしたかな。。

 

いや~

やっぱり

苦しんで、とことんやって

「もういい!これもう違う!やめる」ってならないと

手放そうと決断できなかっただろうな。。と思うのでした。

いつだって最善をつくしているんだから。

 

 

それぞれの

楽しみ方

進み方

やり方だし

あーだこーだいっても、結局

どれもその時の「わたし」にぴったりなんだと思います。

ただ何をするにしても

考えている、感じている自分自身に気づいていて

そこで自分自身で決めているかということが大切だって思います。